菖蒲湯

今朝は、多摩地域は、曇り空です。
西の空は、厚い灰色の雲が出ています。
東の空は、雲が切れて、やや明るくなっています。
薄日(うすび)が射してくるかもしれません。

青葉、若葉は、美しいです。
昨夜は、菖蒲湯(しょうぶゆ)にしました。
湯の中に、長い緑の葉と茎が浮いて、季節は感じます。
柚子湯のように、余り香りはしませんでした。
何の役に立つのか分かりません。

こういう風習は、大切なものと思います。
何か科学的な合理性が見出せなければ、切り捨てるのは考えものでしょう。
科学的な合理性は、今まで分かった範囲の、狭い人の考え方にすぎません。
人の目に見えない、耳に聞こえない世界は広大です。
人は、目に見えない、耳に聞こえない世界で生きています。

お祈り、お祓い、祟り、呪いなど、科学的な合理性の分からないことが幾らでもあります。
柏餅や柿の葉寿司など、合理性の分かったものも沢山あります。
昔からの、風習や食事や、薬草や木の根を大事にすることでしょう。

「けふもけふ菖蒲(あやめ)もあやめ変(かは)らぬに 宿こそありし宿と思へば」(伊勢大輔 後拾遺集夏)
「つくま江の底の深さを よそながらひける菖蒲(あやめ)のねにてしる哉」(良暹法師 後拾遺集夏)
「寝やの上に根ざしとどめよ菖蒲草(あやめぐさ) 尋ねてひくも同じよどのを」(大中臣輔弘 後拾遺集夏)

「菖蒲湯(しょうぶゆ)のあけてありたる湯殿(ゆどの)の戸」(久保田万太郎
「菖蒲浮く昔ながらの楽屋風呂」(市川団右衛門)
「菖蒲湯の菖蒲に触れて役立たず」(円城寺龍)