熟柿13

今朝も、多摩地域は、雨です。
今年の10月は、もう1週間ほど、天候不順です。
関東は、雨模様の寒い日が続いています。

柿の実は、赤く、熟柿(じゅくし)になっています。
累々と、たくさんの実が、なっています。
この柿の木も、昔の元に遡れば、たった一粒の種だったのです。
それが、こんなに大きくなって、200も300も、実をつけます。
おどろくべき自然の力です。

一粒の柿の種は、どこに落ちるか、わかりません。
落ちた場所で、芽を出し、葉を大きくし、花を咲かせ、実をつけるでしょう。
芽を出さない種もあるでしょう。
多様な運命を辿ります。
すばらしい自然の力です。

私は、よく寺田寅彦博士の「机上に垂直に立てた一本の鉛筆」を思い出します。
手を離せば、鉛筆はどっちかの方向へ倒れます。
しかし、時を逆転すれば、垂直に立てた一本の鉛筆です。
可能な道は無限に多様です。

私のブログは、きょう、4300回です。日ごろ、お読みくださる方々と、引用させていただく歌人、俳人の皆さんに、感謝いたします。ありがとうございます。

「草の家に柿をおくべき所なし 縁(えん)に盛(も)りあげて明(あか)るく思ほゆ」(赤彦 山村小情 大正14年)
「蜂屋柿(はちやがき)大き小さき盛(も)りあげて 心明(あか)るく眺めわが居り」(赤彦 山村小情 大正14年)

「残された二つ三つが熟柿となる雲のゆきき」(山頭火 雑草風景)
「柿が赤くて住めば住まれる家の木として」(山頭火 雑草風景)

(註)「たとえば一本の鉛筆を垂直に机上に立てて手を離せば鉛筆は倒れるが、それがどの方向に倒れるかはいわゆる偶然が決定するのみで正確な予言は不可能である。しかし時を逆行させる場合にはいろいろな向きに倒れた鉛筆がみんな垂直に起き直るから事柄は簡単になる。」(寺田寅彦「映画の世界像」昭和7年)

「宇宙のエントロピーは次第に減少し、世界は平等から差別へ、涅槃から煩悩へとこの世は進展する。」(同)

こおろぎ6

今朝は、曇っています。
ときどき、雨が降ります。
パラパラ、雨です。
ときどき、雨はやみます。

西も東も、灰色の雲が出ています。
風も、少しあります。
湿気を帯びた風です。
午後は、雨が降るかもしれません。

昨夜も、草むらで、虫が鳴いていました。
さまざまな、虫が鳴いていました。
こおろぎも、鳴いていました。
美しい虫の声です。

毎晩、こおろぎや、虫の声が聞けて、幸いです。

朝顔(あさがお)の花も、咲いています。
美しい、うすい藍(あい)色です。
あまり湿度が高いと、しぼむようです。
朝顔にも、一番好い時があって、選ぶのでしょう。

今朝も、まだ虫が鳴いています。
雨がやんで、法師蝉(ほうしぜみ)が鳴き出しました。
オーシン、ツクツク、オーシン、ツクツク、と鳴いているように聞こえます。

芙蓉(ふよう)の花も、たくさん咲いています。
うすい紅(べに)色の花です。
毎朝、朝顔の藍色や、芙蓉の紅色を、出会えて、幸いです。

「こほろぎの越えになりたる夜な夜なを 心みだれむ吾ならなくに」(斎藤茂吉 恩 白き山 昭和22年)
「さまざまの虫のむらがり鳴く声を ひとつの声と聞く時あるも」(斎藤茂吉 恩 白き山 昭和22年)

「こほろぎの鳴く山中に吾は居り 杉の木下(こした)を吹きとほる風」(斎藤茂吉 鰻すら つきかげ 昭和23年)
「こほろぎのひたぶるに鳴くころほひに われの心はしづまりかねつ」(斎藤茂吉 箱根強羅 つきかげ 昭和25年)

「こほろぎの濡れつつ鳴くか雨小降り」(山口誓子 激浪)
「こほろぎの鳴くやいづこの畳にて」(山口誓子 激浪)

暑さ16

今朝も、晴れています。
青空が、ひろがっています。
うすい白い雲が、出ています。

朝から、太陽が、カンカン、照っています。
暑い夏の日射しです。
暑いです。

この暑さに、心身ともに、まだ慣れていません。
どこにも出られず、家に籠っているしかありません。
冷房が必要です。

小鳥も、鳴きません。
鈴虫は、弱く鳴いています。
みんな、暑いのでしょう。

草だけは伸び放題です。
夏の雑草です。
なかなか刈れません。

人生、何でも、したい時に、することです。
年を重ねると、何も、できなくなります。
旅に出ることはむろん、人に会うことも、食べることも、億劫(おっくう)になります。
まして、この暑さでは、できません。
外出できるうちが、華(はな)というべきです。

昨夜は、満月のような月が、輝いていました。
美しい夏の月です。
今宵も晴れていれば、丸い月が見られるでしょう。

「あかときのはやきより日の暮るるまで けふあまたたび山鳩啼けり」(斎藤茂吉 山中遇歌 霜 昭和17年)
「星きよく晴れわたりたるこの夜を 杉の木立のあひに露ふる」(斎藤茂吉 山中遇歌 霜 昭和17年)
「山鳩をわが身ぢかく聞きて居り 鴎外先生のよはひを過ぎて」(斎藤茂吉 山中遇歌 霜 昭和17年)

「路ばたに繭(まゆ)干す薫(かざ)の暑さかな」(許六 句兄弟)
「石も木も眼(まなこ)に光る暑さかな」(去来 泊船集)

春分4

きょうは、春分の日です。
夜の明けるのが、ずいぶん早くなったように思います。
東京の日の出は、朝5時45分、でした。
朝から、太陽が、かがやいています。
雲は、霞(かすみ)のような雲です。日中は、気温も、摂氏17度を超えるようになりました。
ずいぶん、暖かくなりました。

鶯(うぐいす)が、鳴くようになりました。
鳴きなれたのか、一段と、美しい声で、上手に鳴いています。
東京のきょうの日の入りは、午後5時53分です。
昼の時間が、12時間を超えるようになりました。
静かな春分の日です。

「花だにもまだ咲かなくに 鶯の鳴く一声を春といふらん」(後撰集春)

「昨日漉きし紙春分の日を過す」(小島昌勝)

情報デジタル化とリスク③

 情報デジタル化の現代、災難やリスク、事件や事故が起きるたびに新聞もテレビも解説や説明の物語で賑わう。物語の内容の正しさはどっちでもいい。とにかく速やかな解説や説明の物語を求める。人は物語がなければ物事の納得も理解も難しく落ちつかないのかもしれない。相場の動きも数字とチャートで示される。そのチャートの解説や読み方を直ぐに求める。

  「ソフトは無料、マニュアルは1万ドル」という古いジョークがあるという。これはジョークではないらしい。自分のDNAの配列が分かっても遺伝子の配列の説明や解説かなければ意味が分からない(ケヴィン・ケリー『インターネットの次に来るもの』NHK出版、第3章)。

   * * * 
  データがあっても、マニュアルがなければ意味も使い方も分からない。
その気になればデータはどこにも幾らでもある。数字や言葉だけではない。色も音も自然現象もデータになる。データを集め編集し物語にして初めて意味が分かる。音を音楽として聞くには作曲が必要と同じかもしれない。天空の星々から星座を描き、暦(こよみ)を作る。宇宙や地球の様々なデータから、歴史や神話、科学や文学が生まれるのかもしれない。

  物語から宇宙や地球のデータを探し出すこともできる。日本列島は火山列島だ。寺田寅彦は『古事記』の「八俣(やまた)の大蛇(おろち)」の「身一つに頭八つ尾八つあり」という物語を、火山から噴き出す溶岩流と解釈する(『神話と地球物理学』)。

  * * * 
  「災害は忘れたころに来る」という。災難やリスクの予測や想定が外れるのも、出来事は、95%を占めるダークマターやダーク・エネルギーで起きるからだろうが、愛国心や郷土びいきに訴える物語を喜ぶように、人は自分に都合が好い説明や解説の物語が好きなのだ。数々の間違いは独りよがりの物語に基づくことが多いという。

  人が生き延びるための物語は、人が生きる方便だから空想でも仮想でもいい。唯一絶対のように人を中心に置く。鳥や虫や魚や獣その他の生物はそれぞれの自然環境との相互作用の経験や解釈に基づいて物語を作って生きているのだろう。人だけが文明を発展させ情報デジタル化を進展させた。

  * * * 
  20世紀は映画の時代だった。映画で、楽しみ、悲しみ、悔しい思いも共有した。見知らぬ国々を旅し疑似体験もできた。映画の中でアルプスの山々の景色を見て、美しい女優の姿や俳優の表情を見て、心を躍らせた。

  「仮想(バーチャル・リアリティ)は経験を増す」という。戦場、深海、火山という生身の人がいけない場所に行ける(『インターネットの次に来るもの』第9章)。鉄腕アトムのように空を自由に飛ぶ経験もできる。もともと物語も映画もテレビも仮想で疑似体験だ。疑似体験やシミュレーションは実際、航空機のパイロットや車のドライバーやスポーツの訓練やゲームに活用されている。

  昨年3月韓国の囲碁のイ名人がグーグルが開発した「アルファ碁」に負けたと報じられた。コンピュータの実力はここまで来ている。だがこういう訓練さえしていれば人との真剣勝負にも大丈夫、実際の災難やリスクに直面しても平気とまでは言い切れない。

  経験とはいえ、仮想はあくまで仮想で、その経験は「フィルター・バブル」(同第7章)になりかねない。歯止めの効かないバブルに陥りやすい危険がある。情報デジタル化は物理的な制約がない。空中の情報を空っぽの容器で捉える。実体を伴わない演説だけで株価が暴騰する。バブルのリスクはますます大きくなる。

  * * * 
  昨年ノーベル賞に輝いた大隅良典博士がメカニズムを明らかにした「オートファジー」は生命体の根幹の細胞が持つ素晴らしい働きだ。オートファジーは細胞のタンパク質が過剰な時は自食し調整し、飢餓に直面してタンパク質が不足な時はタンパク質を再生するという。オートファジーを持つ者だけが長い欠乏時代に生き残ってきた。オートファジーは生命にとって不可欠で、オートファジーの働きなくして何十万年の欠乏時代や飢餓を乗り越えられなかったに違いない。

  何でも手軽に手に入る潤沢社会ではこの大切なオートファジーの機能が減退するらしい。情報デジタル化の時代、頻繁にバブルが生じやすい。バブルは怖い。後遺症が残る。抑制力が働かなくなる。幾多の飢餓の苦境に助けてくれたオートファジーも効かなくなる。

  * * * 
  地球で生きる者は鳥でも虫でも、常に自然環境の変化との相互作用を通じて生きている。大昔の人が始めた農耕牧畜は自然環境との相互作用で、人類の進化に寄与してきた。仮想との相互作用は真の体験には繋がりにくい。

  21世紀は情報デジタル化がもっと進むのは間違いない。どんなに進んでも、匂いや、旨い、まずいの味の感覚や直観などは生身の人でなければ実感も掌握もされにくい。RシラーとGアカーロフがいうように今の時代の需要は本当の需要でなく「肩の上の猿」の需要かもしれない。そう考えると、現代のリスクは大小バブルの頻繁な到来かもしれない。(170310)(3月)

情報デジタル化とリスク

  
  人は耳に入る情報や目に入る情報をそれぞれの脳のフィルターにかける。フィルターがなければ一時の大量の情報に脳はパニックに陥る。押し寄せる膨大な情報から脳のフィルターはノイズを除去し、その人が「今ここ」で最も必要な情報だけを選ぶ仕組みだ(ロバート・シラー『根拠なき熱狂』第10章)。情報デジタル化の時代、この情報のフィルターは脳の中だけに留まらず、洪水のような情報社会で極めて必要で有用な装置になった。
  グーグルの検索窓に言葉を入力する。そのキーワードの広告がずらりと表示される。広告がクリックされた時だけ広告料金が支払われるのがグーグルの広告システムだという(Mガザニガ『<わたし>はどこにあるのか』紀伊国屋書店、第2章)。

  * * * 
  アマゾンで書籍を買う。次から次へと「おすすめ」情報が滝のように流れる。過去に買った本はむろん、ぐずぐずして結局買わなかった本も迷った時間に応じて「おすすめエンジン」が作動する。この情報は便利でかなり信頼できる。とくに日本では洋書のおすすめは役立つ。アマゾンでは売り上げの3分の1を占め、その効果は2014年、300億ドルに上ったという(ケヴィン・ケリー『インターネットの次に来るもの』NHK出版、第7章)。
  だがネットのフィルターはまだ初期段階で、良いものでも切り捨てる一種の検閲の役割をする。余り「おすすめ」に頼り過ぎると「フィルターバブル」に陥る(同章)。そんな時「持つべきは友」で、少し毛色の違った趣味の友人がいて、勧めてくれなければ見る機会もなかった本に出会う。

  * * * 
  世界中にある古今東西の歴史や科学や文学の文献、音楽や絵画や映画をデジタル化した「万物図書館」も「フィルター・バブル」が生じるだけで災難やリスクはなくならないだろう。人が作るものは、人が認識したもので作るしかない。災難やリスクは人の予想や想定を超える所で生じるもので、宇宙の出来事の95%以上のブラック・マターやエネルギーが引き起こすものだ。

  * * * 
  情報過多の超潤沢社会では常にフィルターされて、テクノロジーは時間と共に際限もなく無料化に動く。産業革命以来モノやサービスの値段が下がり続けている。IMFの白書は、過去140年間、毎年1%下がっている。その中で個人の経験だけはコピーもデジタル化も難しいから価値が上がり続けているという(同章)。

  * * * 
  情報デジタル化の現代、希少性があるのは人の注目(アテンション)だという。人の注目には限度がある。眠る暇を惜しんでも最大24時間しかない。当然、最も多く注目を集める事物や広告に金が流れる。人の注目は節約も蓄えもできず毎日毎秒リアルタイムで必ず消費され、評価は割合安価だ。例えば平均23ドルの本を4・3時間で読めば、1時間当たり5・34ドルの計算になる(同章)。

  * * * 
  情報デジタル化の社会での買い物は「今こういう商品が売れています」と広告宣伝し人気商品にして他の人の購買意欲をそそる。あなたが買い物をする時やコマーシャルを見る時、あなたの注目に応じて、会社が広告会社に支払う分の何分の一かをあなたにボーナスを支払うべき価値がある。有名なスポーツ選手や人気のある人の場合はなおさらクリックだけで宣伝になり、フォロワーからフォロワーに波及する。投資家エスター・ダイソンは彼女あてのメールを読んだら、メールを送ってきた人に課金する仕組みを考えた(同章)。

  * * * 
  昔の医者は先ず患者の顔色を見た。気のせいかもしれないが、今の医者は患者よりもパソコン画面を見る時間の方が多いように思う。
  ATM(現金預払機)メーカーのエンジニアのデイブ・シュレーダーは、あなたがATMに近づいた時、あなたの気分に応じた広告を流す。悲しい気分の時は抗鬱剤の広告を画面に出す、それを見たあなたが不愉快な気分になり、二度とその広告を見たくないと思えばその気分を知る。そんなATMを開発し広告収入を得れば、あなたは手数料を支払わなくて済む。気分を察知する技術はATMに限られない。気分に合った食料品を勧める食料品店、気分に合った番組や広告を流すテレビ。車に気分察知装置を装着すれば怒っていたり眠そうな時は発車させない。絶望した患者が前日見せる独特な虚ろな表情を見抜く心理カウンセラーなど様々な用途が生まれる(Mガザニガ『倫理的な脳』紀伊国屋書店、第7章)。

  * * * 
  あなたの感情に関する情報がどこかのデータバンクにあれば、他のデータバンクでも使われる。行動や購買パターン、医療記録、支払い方法など追跡するデータベースは既に存在し、実際に稼働している。アマゾンのような小売業者はクッキーとしてあなたのパソコンに保存されている。自分の決断のほとんどは、マーケティング会社や政府に利用されている(同章)。全てAI(人工知能)で行なわれる。恐ろしいような情報デジタル化時代の幕開けかもしれない。
  (170112)(1月)

物語の限界とリスクの警告

  天を仰ぎ星々を眺め、あの星雲は今から何億光年の宇宙の彼方から光が届いたという壮大な美しい物語も、この世の様々な物に合理性や規則性、確実性を見出し、色々な物に意味や価値、秩序を見出すのも、何十万年間に進化してきた人々の知恵の結晶で、その物語を蓄積する者が長く生き残ってきたのだろう。
  「天地の間には哲学では夢にも想わぬことが沢山ある」(『ハムレット』第1幕第5場)。自然の中の全ての物が人に見えるのではない。鳥や獣や魚の方が特殊な能力で人に見えない物を見、聞こえない音を聴く。ローレンツの犬は主人の友人が主人に対し批判の言葉を発する前に噛みつく。犬は人の脳のアルファ波を捉える。鯨も蝙蝠も特別な音波を聞き取れる。蜜蜂は餌の在りかを独特のダンスで仲間に伝える。

  * * * 
  なぜ人は物語を作るのか。この地球に生まれて生きていかねばならない。人の左脳は物語を作って、矛盾に満ちた混沌としたこの世界で生命を危険から守り、生き延びて、後代につなげていかねばならない。美しい地球にも地震や津波や噴火など自然災害や敵やリスクや困難が数多く待ち受けている。
  左脳の物語は人が生きるための方便だが、大切な任務と役目がある。左脳が作る物語はちっとやそっとでは動かない不寛容で排他的な物語だ。物語の合理性そのものが独善的で、かなり剛直な合理性で作られるようだ。その剛直さが幾多の問題を引き起こす。
  ワインを3千円で買った人に、そのワインを倍額で売ってくれと言っても売らない。最後は20倍まで行くという(Mガザニガ『倫理的な脳』第9章)。自分が金を出して自分のものにし保有するというだけでワインの価値が高まる、ふしぎな効果も物語のせいかもしれない。

  * * * 
  「かんじんなことは目には見えない」(サンテクジュベリ『星の王子さま』第21)。人は目で見るのでなく脳で見るという。人の脳は見えないものを見ることがある。「兄が投げた玩具の矢が右眼に刺さる悲しい事故で右眼が見えなくなりその後、左眼の視力も失い失明した風刺漫画家ジェームズ・サーバーは完全な盲目でなく、きらめく星や舞う雪片や菊のような花びらを見る」という(VSラマチャンドラン『脳の中の幽霊』第5章)。このシャルル・ボネ症候群の幻覚は緑内障、白内障、黄斑変性、、糖尿病性網膜症にもあるという。またラマチャンドランの有名な幻肢の手術は、切断された腕を鏡を使って見えるようにするトリックの手法だ。

  * * * 
  人の脳は見えるものを見えなくする事もある。右脳の障害で左半身が麻痺して左脳だけが働く患者は、自分の病気を頑固に否認し勝手な物語を作る。脳の認識の領域と情動の領域が離れるカプグラ症候群の患者は病気のせいで温かみが感じられないので実の父親を顔が似ているだけの偽物と思う。悲しんだ父親はラマチャンドランに頼んで、以前に来た父親は偽物で中国に行った。きょう来た自分が本物だという。この合理的な説明に納得して息子は実の父親と認める(同第8章)。

  * * * 
  なんでこんな変な所に生えるかと思う。草木にはそれぞれ「ニッチ(適地)」がある。人にもあるらしい。外国赴任から帰国して元の古巣に戻ると鬱(うつ)に落ち込む人や、国内でも新しい部署に配置転換や転勤になるとそこの雰囲気になじめず人間関係に苦労する人、学校に行きたくない人、会社にも出たくない人もいる。新たなニッチを見つけるまで学校や会社は休んだ方がいい。鬱に落ち込む人は動物の冬眠と同じ冬眠の必要が残っている人かもしれない。ニッチは新たな物語だろう。

  * * * 
  今年11月8日の米国大統領選でトランプ氏が当選してから、予測や調査が外れた世界の良心的な経済学者や政治評論家は自らの見通しを信用しなくなっている。わずか1か月の間に東京でもニューヨークでも株価が高騰し、ドル円の為替は105・65円(11月9日)から113・54円(12月2日)になっている。政治や経済に限らず不安定で不確実な事象が地球規模で起きている。
  ひょっとしたら宇宙の膨張の影響かもしれない。最近百億光年の彼方の星雲が観測されたという。今までの知見では考えられないような不規則や不合理や不確実性が膨らむ。合理性、規則性、確実性の領域は小さくなる。歴史は繰り返さない。永劫回帰もない。従来の物語や法則は通用しなくなる。過去に経験しなかったような自然災害が頻発し、リスクは増大し、ボラティリティが高まる。過去のトレンドやチャートや方程式で幾ら類似性や循環を探してもリスク回避の対応策は見つからなくなる。

  * * * 
  これらの原因が何であれ、今後は今までにない不規則、不合理、不確実なリスクが発生する、天邪鬼の活動の前触れかもしれない。これからは左脳の頑迷固陋な物語の限界を知り、可能な限り臨機応変で融通無碍の対応をする寛容な右脳の働きこそ重視される時代になる。災難もリスクも是認すれば新しいニッチや物語が生まれるかもしれない。
  (161205)(12月)

物語の破綻とリスクの発生

  
  1637年のオランダのチューリップ・バブル以来、不動産バブル、ITバブルなど最近まで、世界中でバブルは頻繁に生じている。
  1929年の大恐慌から2008年のリーマン・ショックまで様々な金融危機も度々起きて、そのつど証券市場は暴落している。
  最近の情報ネット社会では、ウィルスの蔓延、サイバー攻撃、個人情報の漏出など新たなリスクが次々に発生して被害を拡大する。
  マイロン・ショールズ博士らは何とかリスクを捉えようとオプション方程式を作ったが、リスクは完全には捉えられなかった。ノーベル賞経済学者を含む学者のほとんどが2008年の金融危機を予測できなかったという。

   * * * 
  なぜ現代は金融危機が多発するのか。それは特に現代人の物語への過信にあるという(ロバート・シラー『根拠なき熱狂』第9章)。
  過信は、人は自分が知っている以上に知っていると思う。知らない事でも意見を持ち、その意見に基づいて行動したい。「この株を買う。きっと他の人もこの株を買う。直後に株価が上がる」と思う。「この頃の自分はツイている。運が向いてている」という物語で投資バブルが煽られる。不確実な状況で判断を迫られると、人は現在のパターンが過去のパターンに似ていると思う(同章)。
  市場の予測は難しい、とは思うが、市場がいつ動くか自分は知っていると思う。過信だ。1989年10月19日、市場下落直後に買った投資家に「市場下落のいずれかの時点で、株価は反発するという特別な考えがあったか」と尋ねた。個人投資家の47・1%が、機関投資家の47・9%がイエスと答えた。当日、売りもせず買いもしなかった投資家では、個人投資家の29・2%、機関投資家の28・0%がイエスと答えた。
  過信は後知恵バイアスと関係がある。事が起きる前から分かっていたと思う。物事の予測は実際は難しいのに、実際よりも予測可能だと思うのが後知恵だ。

  * * * 
  左脳は物語を作る。右脳が正常に働くときは周囲の変化を取り入れて古い物語を改訂し、新しい物語を作る。右脳が損傷を受けて働かないとき、左脳は妄想、否認、合理化など平気でウソをつく物語を作る。
  VSラマチャンドランによれば、右脳は均衡勢力(カウンターバランス)で、右脳の損傷で自分の片足が麻痺した患者が、麻痺を否認して、兄の足だという物語を作る。夜中に気持ちが悪いのでその足をベッドから放り出すたびに自分まで何度もベッドから落ちる。やはり片手が麻痺した患者も麻痺を否認して、片手で拍手して音が鳴ったと作り話をして言い張る。
  物語とリスクとの関係を、意識と無意識でいえば、物語が意識で、リスクが無意識とすると、フロイトが言うように人が意識と呼ぶものは、煮えたぎる大鍋の中の無意識の氷山の一角に過ぎないかもしれない(VSラマチャンドラン『脳の中の幽霊』第7章)。

  * * * 
  なぜ人は物語を作るのか。世の中に出来事が起きて、理由や原因が分からない時、不安や心配で落ち着かない。物語を作るのは不安や心配を和らげるための一種の保険で、極論すれば不安や心配を軽くする物語なら何でもいい。物語が出来事の真実を反映したものかどうか、正しいか正しくないかも二の次。メッシュの粗さも問わない。色も形もそれらしく見えれば十分。自分が納得できれば少々内容がズサンでもかまわない。物語は人が生きていく上での方便に過ぎないかもしれない。
  もう一つ、物語がなければ森羅万象、基本的には無意味で無秩序、不合理で不確実な混沌のままかもしれない。世界の出来事も過去の歴史も初めから意味や秩序があるわけではない。物語が作られて初めて合理的な意味や秩序を持ち矛盾を解消する。だが、それはごく一部だ。今はそれが高じて何事にも合理的な意味や秩序がある筈と思い、無理にも意味や秩序を持たせることになる。
  物語は人それぞれの左脳が作る個人的な創作物で、世界の合理性も、物事の規則性も、時代の趨勢も、その説明の物語も、人それぞれの自分の内部にある物語だ。

  * * * 
  リスクとは何か。なぜリスクが頻発するのか。自分の物語の破綻の結果だろう。物語が個人的、内部的なものなら、破綻のリスクも個人的、内部的なものだ。例えばどんなに合理的な政策も投資も一つの物語に過ぎない。世界は不合理で矛盾が多い。人も市場も予想通りに合理的に動かない。政策や投資の機関が物語を正当化し執着すればするほど物語は破綻しやすく、リスクが発生しやすい。

  * * * 
  「死なない試練は良い試練」と言った哲学者がいたが、リスクに遭遇することも同じように人には大きな意味がある。リスクに直面して初めて人は、物語を過信してはいけない、と反省する機会を得る。人も市場も合理的な動きをしない。世の中の解説や説明は、ほとんどが後知恵に過ぎない、と気づく。もう一度、左脳の暴走を止める重要なブレーキ役を果たす右脳の役割を見直そう、右脳が捉え伝えてくる周辺の変化に耳を傾けよう、という気持ちを起こすきっかけとなる。
  (161006)(10月)

秋雨20

今朝は、雨が降っています。
秋雨です。
ザー、ザー、雨です。

空は、どんより曇っています。
雲は、切れているところはありません。
雨は、ときどき、静かになります。

秋海棠(しゅうかいどう)の花が、ぬれています。
朝顔(あさがお)の花も、ぬれています。
縷紅草(るこうそう)の花も、ぬれています。

秋雨の音は、春雨とは違います。
秋は、雨に濡れる花が、違うのでしょう。
秋は、雨に打たれる草も、違うのでしょう。

朝夕は、だいぶ涼しくなりました。
夏の暑さは、なくなったようです。
夜も、はげしく虫が鳴いています。

「秋雨のひねもすふりて 夕されば 朝顔の花しぼまざりけり」(長塚節 鍼の如く 其五 大正3年)
「いささかは肌(はだ)はひゆとも 単衣(ひとへ)きて 秋海棠(しうかいだう)はみるべかるらし」(長塚節 鍼の如く 其五 三十日、雨つめたし、百穂氏の秋海棠を描きたる葉書とりいだしてみる、庭にはじめてさけりとあり 大正3年)
「うなだれし秋海棠(しうかいだう)にふる雨は いたくはふらず只(ただ)白くあれな」(長塚節 鍼の如く 其五 大正3年)

「秋雨や庭木植ゑつく土の色」(芥川龍之介 大正6年)
「秋さめや水苔つける木木の枝」(芥川龍之介 大正13年)

「肩の上の猿」と情報社会

  「もう一度人生をやり直せるなら、今度は広告マンになりたい。過去1世紀の間の広告の手法がなければ、近代文明と生活水準を高める知識の普及もなかったろう」とフランクリン・ルーズベルト米国大統領は言う。「広告は庶民の目の前に衣食住を提供し、個人消費や生産努力を高める」とウィンストン・チャーチル英国首相も言う(デビッド・オグルビー『告白』第11章)。多くの政治家やその参謀が広告の手法の効用を認め、広告の技法をキャンペーンに使ってきた。

  * * * 
  広告の何がキャンペンに役立つのか。広告は人心を捉える巧妙な手法だ。ロバート・シラーとジョージ・アカーロフは共著『フィッシング・フォー・フール』で「肩の上の猿」の一般均衡が純粋な形で見えるのは広告だという(同書第2部)。広告の「物語」とターゲット(標的)とそれらを作る「情報」が優れた広告の特性のようだ。

  * * * 
  広告は物語を作る。人は物語で生きている。物語で騙され操作もされる(『フィッシング・フォー・フール』第3章)。新しい物語で意見も決心も見方も解釈も変える。投票も変えるという。
  民主党のジミー・カーター大統領候補は、政治には無垢な新人で貧しい農民出身という事実から程遠い物語だったが、有権者は簡単に騙された。共和党のジェラルド・フォード大統領候補はもう少し正直なキャンペーンで負けた(Dオグルビー『広告』第19章)。
  広告はブランドを作る。広告の目的はブランドの確立にあるという。われわれ一般消費者が例えば車や時計など高価な物を買う際、名のあるメーカー品を選ぶ傾向がある。人がいかに広告の影響を受けやすいかを示す証拠だろう。

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  広告マンのアルバート・ラスカーは米国大統領セオドア・ルーズベルトの下で共和党のプロパガンダを手伝い、早くからキャンペーンに広告の手法を導入した。第1次世界大戦後の不況時、1920年の大統領選の際ウッドロー・ウィルソン前大統領からの「正常への復帰」をハーディング共和党候補の物語にしたという(『フィッシング・フォー・フール』第3章)。

  アイゼンハワー大統領は、P&G社のイル・マッケロイン前広告部長を国防長官に雇った。広告マンは政府高官に大学教授などより役立つという(Dオグルビー『告白』第2章)。
  広告は職人芸らしい。ハロルド・ロスの『ニューヨーカー』や花森安治の『暮らしの手帖』など個性派の手になる雑誌だった。料理も研究もチームや委員会では物語が台無しになるという(『告白』第1章、第3章)。
  外科医は嫌いな患者でも手術し弁護士は犯罪者も弁護するが、広告マンは選り好みが強く、好きな商品しか扱わない(同第2章)。そのせいか良き広告は色あせない。「ハザウェイ・シャツ」は21年間、「ダブ石鹸」は31年間も同じ広告を使っている(同序章)。

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  広告は標的を顧客に絞るとき効果があるらしい。広告に注目し関心を持つのは特定の商品や会社や人物の顧客なのだ。広告の機能は顧客の使う頻度をあげる事らしい。平均的なアメリカ人は1日5時間テレビをつけている。このコマーシャル中毒層が格好の広告の標的だという(『広告』第19章)。2012年、オバマ大統領の勝因は広告の技法だった。従来は広く投網をかけるようにメッセ―ジを配った(『フィッシング・フォー・フール』第3章)。今回のキャンペーンでは広告と同じように民主党の支持者と支持者になりそうな層に標的を絞ったという。

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  広告は情報を提供する。デビッド・オグルビーはセールスマンの時、顧客に与える情報が多ければ多いほど商品の売れ行きが伸びると知った(『告白』第5章)。
  広告は情報収集から始める(『広告』第2章)。情報ネット社会の現代、情報収集の仕方も一変した。位置情報はGPSでビッグデータになる。デジタル通信は逆探知される。ヤフーもグーグルもフェイスブックもアクセスや検索のデータが全て集計され次の材料になる。アマゾンは毎日関連商品を知らせてくる。
  ポケモンGOの情報はネットで瞬時に世界を駆け巡る。どんな人がどんなスポットで、何に一番アクセスしているか瞬時に集計されるらしい。市場調査は時間も範囲も速さも深さも昔とは桁違いだ。

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  広告は流行を作る。流行には廃れるリスクがある。広告で経済の好況を演出しても直ぐに不況に陥る。近年の好不況の繰り返しや金融危機の頻発は情報ネットの進展と関係があろう。
  ネットは使えば使うほど個人情報も名寄せされる。自分はどういう人間か、自分で考え探すよりもネットに尋ねる方が、自分の性格や次の行動まで推測できる早道かもしれない。
  情報ネット社会が進展すればするほど広告も広がる。広告が広がれば広がるほど情報は集積され、広告の手法が練磨して周到に次のキャンペーンにも精緻な予測にも使われる。現代は、肩の上の猿の、肩の上の猿による、肩の上の猿のための情報社会かもしれない。
  (160830)(9月)