柿落葉9

今朝の多摩地域は、よく晴れています。
青い空が見えています。
美しい薄い青です。
白い雲があります。
刷毛(はけ)で掃(は)いたような薄い雲です。

朝から、太陽が燦々(さんさん)と輝いています。
日光を浴びるのは、ひさしぶりのような感じです。
美しい秋の空です。

柿(かき)の落葉が、散(ち)っています。
黄色や茶色や緑が、斑(まだら)模様の葉です。
美しい秋の葉です。

葡萄(ぶどう)の葉も、茶色になっています。
桜(さくら)の葉も、黄色に色づいています。
よく見ると、みんな美しい葉です。
今年のわが家の柿の実は、一つか二つしか、なっていません。

縷紅草(るこうそう)の小さな花がひらいて、点々としています。
濃(こ)い紅(べに)色が目に鮮やかです。
朝顔(あさがお)の花も、咲いています。
うすい藍(あい)色です。
花の数は、だんだん少なくなっています。

「とりわけて心に悔ゆることもなく 過(す)ごしし吾は山をくだらむ」(斎藤茂吉 強羅漫吟 小園)
「あらくさに強き光のさすときと 空(そら)みなぎりて雨ふるときと」(斎藤茂吉 強羅漫吟 小園)
「かくのごとまた来む年に聞くべしや 箱根の山のこほろぎのこゑ」(斎藤茂吉 強羅漫吟 小園)

「何か足らないものがある落葉する」(山頭火 山行水行)
「一葉落つればまた一葉落つ地しづか」(山頭火 出家以前)
「道がなくなり落葉しようとしている」(山頭火 旅から旅へ)

秋の雲12

今朝は、多摩地域も、晴れています。
朝の光が、まぶしいです。
朝から太陽が輝くのは、何日ぶりでしょう。

空は、秋の空です。
秋の雲が、出ていますす。
筆で描いたような白い雲です。
美しい秋の日です。

にわかに、蝉(せみ)が鳴き出しました。
カナカナ、カナカナ、と鳴く蜩(ひぐらし)のような声です。
今年の秋の最後の蝉です 。
黄色い蝶(ちょう)が舞っています。
小さな秋の蝶です。

きょうは、カンカン照りの、久しぶりの秋の天気です。
日中、暑い日になりそうです。
残暑が戻りそうです。

大相撲秋場所は、きょうが千秋楽。
きのう14日目に、大関豪栄道が、14連勝で初優勝を決めました。
鬱陶しかった気分が晴れました。

「みちのくの秋ぐもみれば おしなべて高山の背にうごくこのごろ」(斎藤茂吉 秋の雲 石泉 昭和6年)
「南よりうつろふ雲は 中ぞらにわきて疾(はや)しと われはおもへり」(斎藤茂吉 秋の雲 石泉 昭和6年)
「ひむがしの蔵王(ざわう)の山は見つれども きのふもけふも雲さだめなき」(斎藤茂吉 秋の雲 石泉 昭和6年)

「妻柔らかし秋雲の彼方に居て」(飯田龍太 忘音)
「幼子に塀の下草秋の雲」(飯田龍太 春の道)

新米8

今朝も、多摩地域は、曇り空です。
少し雲が切れかかっているようです。
青空は、うっすらと見えそうです。

風には、湿気があるようです。
薄日も、射して来そうです。
関東は、2週間ずっと、先週の土曜日を除いて、雨か曇りの天気でした。
うすら寒い日が続きました。
きょうは、気温も上がるかもしれません。
昼近くになって、急に、雨が降ってきました。

浜松に住む妹が、新米を送ってくれました。
やはり新米は、うまいご飯になります。
昔を思えば、大変な贅沢(ぜいたく)をしている感じです。
ありがたい、幸せな思いです。

今朝も、朝顔(あさがお)の花が、幾つか、ひらいています。
うすい紫(むらさき)色と、うすい紅色の花です。
縷紅草(るこうそう)も、咲いています。
濃い紅(べに)色の小さな花です。

こういう花を見ると、色も形も、他の花のまねをしていません。
自らの設計図や色に自信をもって、花を咲かせているようです。
色即是空、空即是色を、身をもって示している姿です。

「かぎりなき稲は稔りて いつしかも天(あめ)のうるほふ頃としなりぬ」(斎藤茂吉 稔り 霜)
「山形のあがた新米(にひごめ)のかしぎ飯(いひ) 納豆かけて食はむ日もがも」(斎藤茂吉 秋 霜)

「かすかにしわれは住めども 朝夕(あさゆふ)の米(こめ)とぼしらになりまさりたり」(斎藤茂吉 強羅漫吟 小園)
「去年(きょねん)より用意をしつつ持て来たる ともしき米も食ひ終へむとす」(斎藤茂吉 強羅漫吟 小園)

「新米の其一粒の光かな」(虚子
「新米や百万石を一握り」(虚子 野本永久より新米の初物といふを送り来りしに。小諸 六百五十句 昭和22年)

曼珠沙華11

今朝は、さっきまで、パラパラ、雨が降っていました。
今は、やんでいます。
多摩地域は、まだ雲が多い朝です。
このまま、晴れるかもしれません。
もう、いい加減、秋の晴天がほしいです。

外に出ると、赤い彼岸花(ひがんばな)が咲いています。
曼珠沙華(まんじゅしゃげ)です。
なんと美しい花か、と思います。
曼珠沙華は、曼珠沙華の花を咲かせます。
それぞれの植物がそれぞれ、隣(となり)にどんな草花があっても、自分の花を咲かせます。
驚くほど自信を持っている素晴らしいことです。

伊豆の天城の大川さんが、たくさんの栗を送ってくださいました。
お庭でとれた、立派な大きな栗ばかりです。
この栗を入れて、妹が送ってくれた新米の栗飯は、さぞ旨(うま)かろうと待ち遠しく思います。

「小山田(をやまだ)を刈るひと見れば時じくの栗をぞひろふ稲のなかより」(中村憲吉 秋の山田 昭和6年)
「みちに踏む草かげの毛毬(いが)や ひといろの黄葉ばやしに栗まじるらし」(中村憲吉 秋の山田 昭和6年)
「真むかひの山家(やまが)のなかは西日射し あからさまなる仏壇のみゆ」(中村憲吉 秋の山田 昭和6年)

「曼珠沙華雲はしづかに徘徊す」(山口誓子 激浪 昭和19年)
「曼珠沙華田を驚かす音もなし」(山口誓子 昭和19年)
「天の紅(こう)うつろひやすし曼珠沙華」(山口誓子 昭和19年)

秋彼岸7

今朝は、雨が降っています。
このところ、多摩地域の天気は、雨模様です。
空は、雲に覆われています。
暗くはありません。

きょうは、秋彼岸(あきひがん)の中日です。
朝夕は、すっかり寒くなってきました。
秋晴れがありません。
雨の音も、こころよく聞こえます。

うすい藍(あい)色の朝顔(あさがお)の花も、雨に打たれて、うなだれています。
うすい紅(べに)色の芙蓉(ふよう)の花も、うなだれています。
濃い紅色の縷紅草(るこうそう)の小さな花だけは、はっきり開いています。

きのう、外に出ると、赤い彼岸花(ひがんばな)が咲いていました。
季節になると、ちゃんと咲きます。
美しい秋の彼岸花です。

「しをりつる風は籬(まがき)にしづまりて 小萩がうへに雨そそぐなり」(永福門院 玉葉集秋)
「秋の雨にながめし程にをみなへし 移ろふまでもなりにけるかな」(中務卿具平親王 雨のふる日女郎花につけて人に遣はしける 玉葉集秋)

「地の罅(ひび)によべの雨滲む秋彼岸」(岡本眸
「後生にも実の入る秋の彼岸かな」(如白)

秋の風16

今朝は、晴れています。
雲が多い朝です。
台風は、温帯低気圧になって、どこかへ去りました。

薄日は、射しそうです。
朝夕は、ずいぶん涼しくなりました。
台風と一緒に、夏も去った感じです。
風は、もう秋の風です。

朝顔(あさがお)は、今朝も咲いています。
うすい藍(あい)色が多いです。
うすい紅(べに)色の花も、咲いています。
朝顔は、美しい秋の花です。

「さまざまのあはれをこめて梢ふく 風に秋しる み山べの里」(西行法師 山里のはじめの秋といふことを 山家集秋)
「つねよりも秋になるをの松風は わきて身にしむ 心地こそすれ」(西行法師 初秋の頃、なるをと申す所にて、松風の音を聞きて 山家集秋)

「十団子も小粒になりぬ秋の風」(許六
「あさがほのうらを見せけり風の秋」(許六)
「相撲場(すもうば)やあれにし後(のち)は秋の風」(許六)

野分8

今朝は、雨が降っています。
ときどき、強く降ります。
ときどき、弱くなります。

台風の影響でしょう。
野分(のわき)です。
台風16号は、昨夜、九州大隅半島に上陸したそうです。
今は、四国の足摺岬の近くを通過していて、高知県は大雨だそうです。

関東地方は、今夜、強い風と雨になるそうです。
今年は、よく台風が日本列島に襲って来ます。
やれやれ、大変なことです。

朝顔(あさがお)の花は、半分ひらいて、雨に打たれています。
縷紅草(るこうそう)は、小さく濃い紅色の花がしおれずにいます。
外は、少し明るくなっています。
台風は、関東地方は、これからのようです。

「荻の葉にかはりし風の秋の声 やがて野分の露くだくなり」(前中納言定家 玉葉宗秋)
「雁なきて山風さむし 秋の田のかりほの庵のむらさめの空」(藤原光俊朝臣 秋の歌の中に 玉葉集秋)

「だしぬけに吹きたる風も野分かな」(虚子 六百句 昭和17年9月14日)
「野分(のわき)暗しときどき玻瑠の外面(とのも)見る」(虚子 七百五十句 昭和27年9月14日)
「人生の颱風圏(たいふうけん)に今入りし」(虚子 七百五十句 昭和29年9月12日)

対極にあるリスクと物語3

  実際に生活水準を引き上げる衣食住だけでなく娯楽でもゲームでもスポーツでも通常兵器の武器産業も核開発でも何でも経済成長にカウントされる。
  「肩の上の猿」や「根拠なき熱狂」は仮想現実で夢幻の世界。ポケモンGOの普及でも経済は成長する。世界経済の成長がこういうものに依存するとは奇妙な道に入り込んだかもしれない。ゲームの世界に遊び、スマホで連絡して、一生を過ごす人が大勢いるような世界は奇妙。

  * * * 
  1637年、オランダのチューリップ相場がピークに達した。このバブルも、約25年前、不動産神話があった日本のバブルも、2001年のアメリカのITバブルも、後で考えれば、なぜそんなバカバカしい話が通用したのか分からない。バブルがバカバカしいより物語がバカバカしい。バブルは全て物語で始まる。一つの物語を信じると、リスクは分からない。

  * * * 
  不動産価格の暴騰はどうして生じるか。むろん一般の経済に需給でも起きるが、ロバート・シラーとジョージ・アカーロフは共著『フィッシング・フォー・フール』で「肩の上の猿」に煽られ支援されて「根拠なき熱狂」が生じるという(PH134)。
  近年「肩の上の猿」の均衡が破れて金融危機が頻繁に起きる。金融危機になると中央銀行の介入は「モラルハザード」という批判もあるが「根拠なき熱狂」は経済と信用の流れを維持するために財政当局や中央銀行が介入すれば極端な場合「救済」があれば報酬が蓄えるかは心の中になかった。
  音楽がなっている間、ダンスをしていた。「肩の上の猿」の期待は、高値での売り手は利益を得たが、取引相手の買い手の高値で買う人は、そうでない時でも正しいと思っていた。

  * * * 
  世界が後悔した事だが、数年前の金融危機の際、疫病が蔓延していく時のように、もし効果的な介入がなければ、どういう事になったか見つけたのだ。われわれの分析は、自然の勢いで、金融システムがひどく脆いものなばかりか、金融危機に直面して介入すべき時期があることを示す。ミニ暗黒時代は多すぎるほど多く生じる(PH135)。
  疫病でも医療でも経済でも、直ちにドラスチックな反応が必要だ。過去百年間に2つの劇的な出来事を経験している。2つの対照的な実験で、反応した時としなかった時だ。1つは、1929年の大恐慌の時、反応が小さく遅くて、1930年代から第2次世界大戦までの15年間も続き、世界はミニ暗黒時代になった。2008年の危機は、出来事は大恐慌時と似ているが反対に世界の財政当局と中央銀行が一致して速やかに適切な規模の介入をした。回復は緩やかだったが前の時のようにミニ暗黒時代は避け得た(PH134)。

  * * * 
  1996年12月5日、アラン・グリーンスパン連邦準備理事会議長は最近の金融市場は「根拠なき熱狂」だと発言すると突然、市場の株価が下がった。2000年に、ロバート・シラーが「根拠なき熱狂」という本を出版されると株価が暴落した。2008年リーマンブラザースが破綻した。
  金融機関の破綻リスクの増大と肥大化した情報ネットの広告と関係があるかもしれない。金融市場が時々「根拠なき熱狂」に陥り不安定化する。今の金融市場は、実際に必要な金融需要というより中央銀行により操作された需要という意味で、熱狂する時も冷める時も頻繁に繰り返される。「根拠なき熱狂」の根拠は今の情報ネットであり広告なのかもしれない。
   * * * 
  「人は同じような考えや意見を持っている人と定期的に連絡を取る」(『熱狂』175)。いつの時代のどこの国でも、メディアから全く独立した考えを持つ人は、まれだ(同176)。隣同士で同時に開いたレストランがある。初めのお客が一方のレストランに入る、そのお客の意見が重要。次のお客は自分の意見より最初のお客の意見を参考にする。口コミは信頼できないのに信頼する(同178)。
   * * * 
  意見を形成する上で人は権威を信頼する。過信の始まり。多くの人が自分自身の判断を権威に移行させる。自分自身の評価と違う事実でも権威の意見を受け入れる(『熱狂』177)。大勢と違う意見を表明するのはバカ。衆愚の態度で行動する。権威とは物語を作る。江戸幕府も明治政府も権威。
  個人間の情報伝達に頼る。例えば映画評論家の評論よりも大衆の口コミの方が影響力がある(『熱狂』185)。

   * * * 
  世論は操作される。人は広告にも流行にも弱い。異論を唱える人は嫌われる。異なる意見を持つ者は、のけ者にされる。「長いものには巻かれろ」という無言の圧力。経済のブームも不況も起きる理由だ。大多数の人と同じ考え方に立てば、それが間違っていても日々の生活は安全だ。

   * * * 
  人の関心は一時的に一つの事に集中して直ぐ別のことに移る(『熱狂』188)。この複雑な世の中で「今ここ」の感覚が養われ現在時点で何が最も重要か解釈する結果、環境からくる膨大な情報を選択する必要から脳はフィルターにかける。この脳の構造により人は適切な事に注意を向けられず判断ミスが生じる。進化した人の脳が注意を集中するメカニズムは不完全(『熱狂』189)。
  社会的にも同じことが生じる。個人の注意力の集中が常に正しいとは限らない。同じで社会的な選択も常に正しいとは限らない。疫病の感染率は劇的に拡大する。社会的な関心は緊急事態に集中する。証券市場でも他の会話は一切除外して一つの事に集中する。驚く事ではないが、地球の反対側の市場でも一緒に動く(『熱狂』189・90)。

   * * * 
  アフリカ国の数は国連加盟国の何パーセントを占めるか、示す数字より多いか少ないか。示す数字が10の時は25と答え、65と示すと45と答える。他の数字に影響される。会社のっ業績よりも本店がどこにあるかで決まり、その会社の株価が決まる。陪審の評決でも証拠の重さを判断材料にしないという。株価も、その会社の歴史、製品の品質、製品の売れ行きなど物語で決まる(『熱狂』167)。
  人は証券を買う際も、可能性や量的な判断でなく物語で正当化して買う。出来事の物語が成立する事で判断する(『熱狂』168)。

  * * * 
  人は自分が知っている以上に知っていると思う。知らない事でも意見を持ち、その意見に基づいて行動したい。心理学者はこの傾向を過信だという。なぜ過信が生じるのか。「この株を買う。他の人もこの株を買うに違いない。直後に株価が上がる。このごろ自分はツイているぞ。幸運がきているぞ」という物語で投資バブルが煽られる(『熱狂』171)。他の理由づけを全て忘れてしまい、最終段階の理由づけを正しいと思う。

   * * * 
  市場は予測が難しい、と思っている。1929年10月28日、29日大恐慌。1989年10月19日市場下落直後に買った投資家に尋ねた。「1989年10月19日市場下落(『熱狂』167)のいずれかの時点で、株価は反発するという特別な考えがありましたか」と尋ねた。個人投資家の47・1%が、機関投資家の47・9%がイエスと答えた。当日一切売りもせず買いもしなかった投資家では、個人投資家の29・2%、機関投資家の28・0%がイエスと答えた(『熱狂』172)。

   * * * 
  RシラーとGアカーロフは『フィッシング・フォー・フール』でいう「肩の上の猿」は市場に内在し、他人と同調する「トカゲの脳」も人の脳に内在する。「根拠なき熱狂」も癌と同じように市場の中から発生するという。リスクも人の脳の抑制力の弱さから生まれるもので、抑制力が効かないと過信も生まれる。
  一斉に同じ不幸へ進んで行く「根拠なき熱狂」を生む。これを抑制するのはがまん強さ。タブーは抑制で、タブーなき文明は抑制力の欠如かもしれない。スマホもフェイスブックもネットは中毒になる。

   * * * 
  人の心も進化の産物。印刷物もEメールもインターネットもその他の伝達手段がない時も、人は遺伝的な情報加工能力で、地球上の生物のほとんどを支配するようになった。中でも重要な事柄の個人から個人への伝達が重要。過去数百万年間に知識の伝達能力の脳の進化が伝達チャネルを最大にし、効果的に伝達する上で気持ちの高揚感をもたらした。会話は高揚感を最大にする。周りを見回すと、どこに行っても、二人以上で働きも遊びもせず眠らずに、働きながら遊びながらしゃべっている。
  絶え間ない情報が人類の基本的な特性。数百万年の間、食料源、身に迫る危険、他人に関する情報交換が社会を救ってきた。個人資産を増やす機会、減らす危険、会社経営者に関する話題は多いが、融資の量、資産運用の統計、老後に必要な資金額など抽象的な会話は少ない。テレビやラジオや印刷物などメディアより、人は会って話をする、口コミが行動に駆り立てる(『熱狂』187)。

   * * * 
  アイデアの伝播が速いのは、問題のアイデアが既に頭にある時だ。衝突するアイデアが頭の中に共存する時もある(『熱狂』187)。
   * * * 
  ビクター・ニーダホッファーが1955年から66年までに「ニューヨークタイムズ」紙のビッグ・ニュースの見出しで報じられた432のニュースのうちどれだけ証券市場に影響したか調べたが、余り関係がないことが分かった(『熱狂』105)。

   * * * 
  マイケル・ミリケンのジャンクボンドは新しい物語を作った(PH133)。
  ミリケンの結末は異常だった。騙す奴は捕まらないのが普通だが、ミリケンは監獄入りした(PH133)。
   * * * 
  リスクは不合理で非論理的。「情」は不合理、「知」は合理とすると、「情」の中で人の考え「知」で説明できないリスク。不合理で非論理的な自然現象(情)から、合理性(規則性)や論理で説明する物語(罫線)を差し引くと相場がリスク。抑制力の意は、生命の自発的な選択と免疫の機能をする。
  (160919)(10月)

対極にあるリスクと物語2

 「ノーリスク・ノーリターン」という。リスクの中からリターンを得る。単なる経済的なリターンだけでない。地球上に貴重な生命が宇宙から生まれる過程。
  「ノーリスク・ノーライフ」かもしれない。宇宙から生命に必要な要素を汲みあげて生命を作る。蝶も朝顔もその他の虫も魚も植物もみんなやっている。免疫もある。栄養とと一緒に毒もリスクも汲みあげたら免疫で排除する。水耕法の植物が自分に必要な栄養を自分で選択して吸い上げる。それが生命の機能。蝶も朝顔もその他の虫も魚も植物も自分の設計図で生命を作る。重要なことは、自分の設計図や免疫に自信を持つこと。アレルギーは自分に合わないものや必要ないものを排除する素晴らしい機能。自分に必要なものを宇宙から掬い上げる時リスクも一緒に汲みあげる。生命には必ずリスクを伴うが、生命は白紙で生まれない。必ず選択する。選択できない生命は育たない。環境によるという俗説は誤り。

   * * * 
  人は物語を作る。物語がなければいられない、ふしぎな動物だ。昔のギリシャ人は地面に穴を掘って叫んだという。小説も映画も漫画も物語。人類の文化や文明の基礎かもしれない。人ほど大事でもない話や余計な話や無駄話をする動物もいない。そのためEメールやスマホやフェイスブックやツイッターが普及する。
  人が作る物語は仮想。現実ではない。リスクは現実。人はリスクに遭遇して初めて現実を知り、現実に生きる。人が作る物語に親しめば親しむほど仮想の中に入り現実から離れる。物語がリスクの引き金になるのかもしれない()。

 * * * 
  ネット情報社会では映画もテレビもゲームもアニメも疑似体験できる仮想現実(バーチャル・リアリティ)が作られる。これらは全て物語。仮想現実や疑似体験の物語で人は体験したと錯覚する。現実を知ったと誤解する。ますます現実のリスクに出会うことになる。

  * * * 
  バブルやリスクは人が作る物語から生まれる。「私」の中には複数の部屋があるという。リスクが見えず危険。リスクを予見するには同じ部屋にいてはいけない、「私」の物語を変えるしかない。「私」の物語を変えるには「私」の部屋を変える。
  世間には世間の物語がある。その集団的に流行する物語がバブルやリスクを生む。その集団的な物語を「私」の物語として見るかどうかは「私」の問題。「私」の部屋を変えればリスクが見えるかもしれない。リスクが見えればリスクを避けられるかもしれない。
  集団的なバブルやリスクもそう。また別の集団的な仮想現実や疑似体験や物語が作られる。ある世代の人々は権威ほど当てにならないものはないと知っても、もうコリゴリだと思う世代が去ると、また後の世代で人の心を捉えたい人が出て来る。また別の物語を作って、また別の集団的な仮想現実や疑似体験を持って、また別のバブルやリスクに直面する。物語も進化するが、リスクも進化する。

  * * * 
  昔、ヨーロッパを旅した時、芭蕉の俳句集を持って行った。時々出してみたが俳句の味わいが全く違う。ピンと来ない。俳句や和歌は日本で読んでこそ味わいがあると思った。周りの気候や人の顔、言葉や植生の違いが詩歌の違いを生むのだろう。俳句が翻訳できないわけだ。長い外国旅行から帰って来ると「鬱」になる人がいる。外国と日本では気候も空気も違う。植生も物語も違う。外国の気候に慣れた人は日本の気候に慣れるまでは、うまく対応できない。気候も詩歌も物語も違い、現実に対応できなくなると「鬱」になる。詩歌も物語も違う。外国と日本ではリスクも違う。

  * * * 
  雨を想定してないとき、降る雨はリスク。物語は予想内、想定内の出来事。リスクは予想外、想定外の出来事をいう。人が作る物語にも登場しない歪みがリスクとして出現する。リスクが外国と日本では違うとしたら、外国でも日本でも物語にも登場しない歪みなのかもしれない。

  * * * 
  リスクを避けるには保険を掛ける必要がある。保険に2つある。保険の1つは天邪鬼。相場の予想と同じで、人が相場が上がると思う時は売り、下がると思う時は買う。逆をやる。なぜ逆をやるかといえばリスクは天邪鬼の仕業に違いない。
  天邪鬼は、リスクを避ける不合理な方法だが、人の予想や想定や物語はおよそ当てにならない、天は人の予想や想定とは、しばしば逆をすると信じての上だ。
  人の予想や想定や物語は権威と同じでおよそ当てにならない。リスクを避けるには権威とは逆のことをする天邪鬼がよさそうだ。
  天邪鬼は、人の予想や想定や物語が万能でないことを思い出させる。むしろ人の予想や想定や物語はウソで、天邪鬼こそ本当の現実なのかもしれない。
  天邪鬼は、右脳の働き。世の中お出来事、常に人に分かる意味や理屈や秩序があるとは限らない。そこにリスクが生まれる。意味や理屈や秩序は、左脳の働き。
  天邪鬼には、長所もある。人の顔を見て感じがいい、とか感じが悪いとかいう。意味や理屈や秩序はいえない天邪鬼だ。右脳が委縮する認知症は人の顔が分からなくなる。危険を察知するのも天邪鬼。騙しを見破るのも天邪鬼。リスクを見出すのも天邪鬼かもしれない。振り込め詐欺に騙されないのも天邪鬼かもしれない。
  リスクを察知するのは右脳の働きだ。オプションのようにリスクを理屈の左脳で捉えるのは無理かもしれない。天邪鬼は感情。右脳の働きを活性化するのは笑いや悲しみの感情だ。オブジェをオブジェと見るのも天邪鬼かもしれない。リスクは進化するかもしれない感情。

  * * * 
  もう1つの保険がシミュレーション。シミュレーションによってリスクを想定して机上の仮想現実の中に投入してみる。科学でも実験はシミュレーションだろう。シミュレーションによって、ある程度、リスクの予見が可能になる。

  * * * 
  さらに1つは、右脳を鍛える。映画を見てもスポーツ観戦でも感動が右脳を養うかもしれない。左脳を鍛えるより右脳を鍛えよ。政治家塩爺のメロンは理屈ではない。
  リスクは災害と同じ。災害に学べ。バランスは合理的な左脳。降れば土砂降りはアンバランス。何十年ぶりの豪雨。災害はリスク。リスクや災害は右脳なら捉えられる。左脳では捉えられないかもしれない。
  勉強してはいけない。勉強は左脳中心になり勘が失われる。大学教授はエコノミーで投資家はファースト・クラスに乗る理由は左脳で勝負する大学教授はリスクもチャンスも見逃し金もうけはできない。右脳が人心を捉える広告でも勝つ。ドナルド・トランプは大統領選で勝つかもしれない。

  * * * 
  先物文化は右脳を養う。人生が一変するほど先物文化は不合理。先物文化は不合理で非論理的で筋の通らない事が多い。合理的な理屈の好きな左脳は通用しない。先物を好む人は。ヤンチャな人、左脳より右脳が強い。将来を素直に不安定と認める。不安定な将来を全額を支払って抱え込まない。先物の魅力は未決済文化。決済を将来に先延ばしにするが、先物文化を好きな人は、その人の物語。左脳派の人の物語は合理的。先物は天邪鬼。不合理で筋の通らないリスクが多い。リスクを商品化した先物の宿命。リスクとは予想外のもの。今でも相場が激しく上下すると先物や投機のせいにする。左脳派の人は投機を嫌う。右脳派の人は基本的に危険が迫っていると察知できるのを好む。

  * * * 
  右脳の情で捉えたもので、左脳の知で組み立てる。
  (160919)(10月)

対極にあるリスクと物語

  出来事が起きる。人はその出来事の物語を作る。その意味を見極めたいのだ。人は物語がなければ世界を理解もできず生きてもいけない。物語には意味も理屈も秩序もある。「ブラックスワン」や「透明ゴリラ」は物語から脱落する。実際の世界には意味も理屈も秩序もない出来事が生じる。本当の世界は無意味で無秩序、不合理で非論理的で、絶えず物語にならないリスクが突然に生じる。リスクこそ世界の現実になる。リスクは避けるのは現実を避けることになる。人は物語でリスクを追うが、いつまでもリスクは捕まらない。リスクは無限で終わりはない。

  * * * 
  「ブラックスワン」や「透明ゴリラ」が現実にいても、人が作る物語になければリスクになる。物語にあればリスクでなくなる。現実に雨が降っても傘があればリスクでない。雨を想定せず傘がなければ雨はリスク。
  騙されやすい人が騙される。振り込め詐欺は騙されやすい人を狙う。同じ物語でも騙される人と騙されない人がいる。騙される人と騙されない人は鍵と鍵穴の関係かもしれない。。騙されやすい人はその人の物語で騙される。同じ餌でも釣られる魚と釣られない魚がいる。その餌を好む魚は食いつく。その餌を嫌いな魚は振り向きもしない。リスクを読むのは暗号の解読の際と同じで鍵と鍵穴の関係かもしれない。同じ物語を投げても錯覚し誤解する人と、その物語のウソを見抜き錯覚も誤解もしない人もいる。その人の作る物語が違う。
  リスクは花粉。同じ花粉でもアレルギー症状を発症する人も発症しない人もいる。同じリスクでもアレルギー症状を起こす人もいれば起こさない人がいる。花粉やリスクそのものに毒がなくても、特定の花粉やリスクに反応する抗原を持つ人が花粉症になる。

  * * * 
  物語はどんな物語も自分が作っている。混沌の世界から色々な材料で織物を紡ぐように自分の内部にある設計図により自分の物語を作る。生命が混沌のカオスから生命を生み出す。物語も花粉症や癌と同じで外に何があっても自分の内部にある物語(PH165)になる。物語は外にあるのでなく自分の内部にある物語。

  * * * 
  「ブラックスワン」や「透明ゴリラ」の登場する物語を作れない時、「鬱」に陥るかもしれない(Mガザニガ『<わたし>はどこにあるのか』紀伊国屋書店、246頁、第3章)。左脳が「ブラックスワン」や「透明ゴリラ」の登場する、その場、その時に適切な物語を作れば「鬱」が治る。物語が違っても「鬱」になる。左脳が働き過ぎ物語を膨らませ過ぎて「躁」になる時もある。物語は「濾過」の役目を果たす。

  * * * 
  物語が「鬱」の原因。現実から人を離す。物語が現実を上手に取り込んでいない時、「鬱」になると、現実への上手な対処の仕方を忘れてしまい、現実が嫌になるほど現実に対応できない。「鬱」と現実の間に適当な物語が必要になる。
  物語は仮想現実で疑似体験もできる。適切な物語がない時「鬱」に陥る。人は自分の物語で生きている。人が窮地に落ち込んだ時、別の物語を作れば物語の仮想現実で疑似体験で窮地から自分を救うこともある。
  何がリスクを生むか。どこにリスクがあるか。リスクは人が作る物語の裏返し。人が作る物語に含まれない所にある。物語で想定しないことがリスク。

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  「明と暗」でいえばリスクは暗、物語は明。「陰と陽」でいえばリスクは陰、物語は陽。「日と影」でいえばリスクは影、物語は日。「昼と夜」でいえばリスクは夜、物語は昼。「プラス、マイナス」でいえばリスクはマイナス、物語はプラス。「不易、流行」でいえばリスクは不易、物語が流行。「虚と実」でいえばリスクは虚、物語が実。「色と空」でいえばリスクは空、物語は色。「直と曲」でいえばリスクは曲、物語は直。「内と外」でいえばリスクは外、物語は内。「静と動」でいえばリスクは動、物語は静。「夢と現」でいえばリスクは現、物語は夢。「損益」でいえばリスクは損、物語は益。「音と間」でいえばリスクは間、物語は音。「色彩と余白」でいえばリスクは余白、物語は色彩。「凹凸」でいえばリスクは凹、物語は凸。「生と死」でいえばリスクは死、物語は生命。「オンとオフ」でいえばリスクはオフ、物語はオン。「地球と宇宙」でいえばリスクは宇宙、物語は地球。「用無用」でいえばリスクは無用、物語は用。「合理、不合理」でいえばリスクは不合理、物語は合理。「秩序、無秩序」でいえばリスクは無秩序、物語は秩序。「意味、無意味」でいえばリスクは無意味、物語は意味。「安心と不安」でいえばリスクは不安、物語は安心。「偶然と必然」でいえばリスクは偶然、物語は必然。「一瞬と永遠」でいえばリスクは永遠、物語は一瞬。「存在と時間」でいえばリスクは時間、物語は存在。「抽象と具体」でいえばリスクは抽象、物語は具体。「先物と実物」でいえばリスクは先物、物語は実物。「陸上戦と空中戦」でいえばリスクは空中戦、物語は陸上戦。「刀と銃」でいえばリスクは銃、物語は刀。「仮想、現実」でいえばリスクは現実、物語は仮想。「疑似、体験」でいえばリスクは体験、物語は疑似。「恐竜と恐竜以降」でいえばリスクは恐竜、物語は恐竜以降か。「肩の上の猿」の需要と本来の需要では「肩の上の猿」がリスク、本来は物語か。

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  蜜蜂はダンスで、蟻はフェロモンで、蜜のありかを仲間に伝える。恐らく危険も知らせる。なぜ人は物語を作るのか。蜜蜂や蟻と同じで、餌を仲間に伝えリスクを避けるため人は物語を作る。混沌とした世界や世界の出来事を理解し組み立てるため人は物語を作る。筋の通らない物語は理解されないから全く荒唐無稽な話は別にして人が作る物語は筋が通っている。
  「ブラックスワン」や「透明ゴリラ」の不合理で筋の通らない事がリスク。人が作る物語から外れ、物語から漏れ、物語に含まれない所でリスクが生じる。
  (160919)(10月)